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名古屋高等裁判所 昭和55年(う)262号 判決

主文

原判決を破棄する。

被告人を罰金一万円に処する。

右罰金を完納することができないときは、金二〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

被告人に対し、公職選挙法二五二条一項所定の選挙権及び被選挙権を有しない旨の規定を適用しない。

原審及び当審における訴訟費用は、全部被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、岐阜地方検察庁検察官検事加藤保夫作成の訴趣意書に、これに対する答弁は、弁護人簔輪弘隆、同尾関闘士、同加藤高規、同笹田参三、同塚田昌夫、同鶴見祐策、同中村亀雄、同原田敬三、同横山文夫共同作成の答弁書(一)、右弁護人ら及び弁護人安藤友人、同上田誠吉、同斎藤鳩彦、同宮田陸奥男共同作成の答弁書(二)ないし(四)(なお、答弁書(一)、(三)については昭和五六年一一月一六日付訂正申立書による訂正を含む。)にそれぞれ記載されているとおりであるから、これらを引用する。

検察官の控訴趣意は、要するに、原判決は、本件起訴状記載の公訴事実がそのまま認定できるとしながら、法定外選挙運動用文書の頒布を禁止した公職選挙法一四二条一項及びこれに対する罰則を定めた同法二四三条三号が「文書等の活動の自由を合理的根拠なく、若しくは必要最少限の基準を超えて制限しているゆえ、憲法二一条一項の表現の自由を侵しているのは勿論、憲法の基本理念とする国民主権、代表民主制(前文)、議会中心主義(前文、四一条他)、国民固有の参政権(前文、一五条)及び選挙制度(一五条、四三条、四四条)等にも違背、牴触した違憲無効の規定である」と判断して被告人に無罪の言渡しをしているが、公職選挙法の右規定は憲法に違反するものでなく有効であるから、前記公訴事実につきこれを適用しなかった原判決は、憲法及び公職選挙法の解釈適用を誤ったものであるというのである。以下に、その理由を要約すると、(一)公職選挙法一四二条一項、二四三条三号の規定が憲法二一条、一五条などに違反しないことは、最高裁判所の累次の判決により判例法上確立された法解釈であり、原判決は、これらの判例に反する。すなわち、最高裁判所は昭和三〇年四月六日の大法廷判決以来、昭和五五年五月三〇日の第二小法廷判決に至るまで一貫して公職選挙法一四二条一項の規定が憲法二一条に違反しないとしてきたのであり、また、その罰則規定である公職選挙法二四三条三号が憲法二一条に違反しないこと及び公職選挙法一四二条一項の規定が憲法前文、一五条、四一条、四三条、四四条などに違反しないことは、右各判例の趣旨に照らし明らかである。(二)近時、最高裁判所が判示する表現の自由あるいは労働基本権などに対する制約原理についての理論及びその表現に従うならば、本件のような公職選挙に際しての表現の自由に対する制約原理は「選挙関係者(候補者、選挙運動者、選挙人等)を含む地方住民全体ないし国民全体の共同利益」を保障しそれとの調和をはかることにあるということになるが、最高裁判所の国家公務員の政治的行為に関する昭和四九年一一月六日大法廷判決(猿払事件判決)におけるものと同様の合憲性判断の基準と方式に従い吟味検討すると、文書図画の頒布の規制は、右の地方住民全体ないし国民全体の共同利益を擁護するうえで合理的で必要やむをえない限度にとどまるものである限り憲法の許容するところであるというべきであり、公職選挙法一四二条一項の規定は、その規制目的が正当であり規制目的と規制手段との間には合理的関連性が認められ、かつ、利益の均衡を失するものでないから、合理的で必要やむをえない制限であるということができ、憲法二一条に違反しない。なお、(三)原判決が説示する理由中には、戸別訪問を違憲とする論旨を安易に援用し、あるいは公職選挙法の立法事実を誤認し、同法による文書活動の規制を包括的禁止を前提としこれを限定的に解除するものと曲解し、あるいは従来の合憲論をいわゆる分離論(表現を内容自体とその手段、方法とに分離して考えるべきであるとする説)と一部禁止論(文書活動の一部を禁止しているにすぎないとする説)とに分断してそれぞれに反論を試みるなどの点で首肯し離いものがある。更に原判決は、文書活動が自由に放置された場合のいわゆる弊害論について、その根拠を七つに細分し、それぞれにつき反論を加えて文書活動を制限する根拠になりえないとしているところ、その指摘は弊害論のとらえ方が誤っているか、その論拠が薄弱であるか、わが国の選挙の実態への認識が欠如し現実から遊離した論議であるか、あるいは立法論を展開するものであって、いずれも理由がない。そして原判決が、文書活動の積極的意義として説示するところも、立法事実のとらえ方に首肯できない点があり、また、文書活動の自由の制限による弊害として説示するところも、多くは現実を無視した誇張された観念論であり、いずれもその論拠を欠くことが明らかであるというのである。

そこで調査すると、原判決は検察官所論のとおり公職選挙法一四二条一項、二四三条三号を違憲無効の規定として被告人に無罪の言渡しをしているので、各所論にかんがみ、右法令解釈の当否について検討する。公職選挙法(昭和五七年法律第八一号による改正前のもの。以下同じ。)一四二条は、公職の選挙の種別ごとに、その選挙運動のために使用する文書図画のうち頒布することができるものの種類、形態、数、頒布方法などを定め、右に定めたもの以外の文書図画の頒布を禁止し、同法二四三条三号は右禁止に違反する行為の処罰を定めているところ、本件の衆議院議員の選挙については、「公職の候補者一人について、通常葉書三万五千枚、当該選挙に関する事務を管理する選挙管理委員会に届け出た二種類以内のビラ二万枚に当該選挙区内の議員の定数を乗じて得た数」(一四二条一項一号)以外の文書図画の頒布を禁止している。文書図画により選挙人に候補者の経歴、人物、政見、公約などを伝えて投票、支援を依頼するなどの目的で選挙運動として行われる文書図画の頒布は、意見の表明ないし表現活動としての面をもつものであるから、法律によりこれを規制することが憲法二一条一項の保障する表現の自由を制約するものであることは明らかである。そうして、わが国の議会制民主主義の下において政治的意見の表明などの表現の自由がとりわけ重要な基本的人権であり、十分尊重されなければならないことはもちろんである。しかしながら、右自由が憲法上の他の重要な要請に応ずるために制約を受けざるをえない場面のあることも否定できない。憲法が、法の下の平等を宣言し、政治的関係における差別、すなわち国民が広く国政に参与する際における権利の不平等を禁止するほか(一四条一項)、公務員の選挙については成年者による普通選挙を保障し(一五条三項)、また、両議院の議員及びその選挙人の資格について人種、信条、性別、社会的身分、門地、教育による差別のほか、財産又は収入による差別を禁止して(四四条)、参政権を人の経済的事情を含む一身上の事由により差別することを排除し、かつ、両議院の議員の選挙に関する事項は法律で定めるべきものとしている(四七条)趣旨にかんがみると、憲法は、民主政治の基本的な制度である公職の選挙において、各候補者が平等の立場で公平な手段により選挙運動を行うことができることを選挙の公正に不可欠な要件とし、右要件を含む選挙の公正の確保を強く要請していると解すべきである。公職選挙法一条が、同法は日本国憲法の精神に則り(中略)選挙が公明かつ適正に行われることを確保し、もって民主政治の健全な発達を期することを目的とする旨定めているのは、右の憲法の要請に応じたものと解することができる。このような選挙の公正を確保する目的で、公職の候補者又は選挙運動者らの資力の差が選挙運動の手段の不公平を招き、選挙の結果に不当な影響を及ぼすことを防止するため選挙運動の手段を規制することは、憲法の要請に沿ったものということができ、それが表現の自由の制約となることがあっても、合理的で必要やむをえない限度にとどまる限り、憲法に違反するものでないと解するのが相当である。

右の見地に立ち、公職選挙法一四二条、二四三条三号の合憲性について考察すると、右規定は、意見の表明ないし表現活動の自由を一般的に規制するものではなく、公職の選挙について行われる選挙運動のために使用する文書図画についてのみ前記のような制限を定めるものであるところ、右の文書図画の頒布を無制限に認めるときは、候補者間に過当な文書図画頒布の競争を招き、過大な費用と労力の使用を余儀なくさせ、その結果候補者又は選挙運動者らの資力の優劣が選挙の結果に過大な影響を及ぼして選挙の公正を害するおそれがあるため、右規定はこのような弊害を防止する目的で文書図画の頒布を法定の範囲に限定する趣旨に出たものと解することができるから、右の規制の目的は正当である。

このような規制を必要とする状況は、現在わが国になお存在すると考えられる。(なお、立法又は法律解釈の基礎となる右のような一般的事実は必ずしも証拠によって証明することを要しないと解される。)そうして、選挙運動のために頒布される文書図画の容量及び部数の多少が得票数に影響を及ぼす(一般には多いほうが当該候補者に有利に作用する)ことは明らかであるから、前記規定による制限は、右のような過当競争による弊害を防止して競争を公平にし、全体として選挙の公正を確保するのに有効であると認められる。右の規制の目的に沿うものとして法定選挙費用の制度もあるが、選挙運動に関する支出を正確に把握することが極めて困難であることなどから、それだけでは十分な効果を挙げることができないと認められるし、他に適切有効な方法も見当たらないのであるから、右の目的を達するために、頒布することができる文書図画の種類や数を制限する方法をとることもやむをえないものと認められ、そうである以上、右制限に実効性をもたせるために、その違反に対し相応の罰則を設けることも合理性があるといわなければならない。もとより、右の規制の具体的内容(文書図画の種類、枚数、刑罰の程度など)が適切妥当であるかどうか、特に国民の参政権の行使に不当な支障をきたすことがないかどうかについては、論議の余地があるであろう。しかし、それは立法政策の問題であり、特に選挙制度を定めるについては憲法四七条が国会に広い裁量権を与えていると解すべきであるところ、前記規定の内容は右裁量権の範囲を超えたものとは認められない。このような事情を総合して考察すると、右の規制の目的と規制の対象となる行為との間には合理的関連性があると認められる。(なお、公職選挙法一四二条の禁止する行為が選挙の公正を直接、具体的に損う行為に限定されていないとしても、右の合理的関連性が失われるものでなく、また、同法二四三条三号の罪はいわゆる形式犯であり、その法益侵害の危険は抽象的なもので足りると解すべきである。)

更に、右の規制は、意見表明そのもの、すなわち文書図画の内容を制約するものではなく、文書図画の頒布を無制限に認めることに付随して生ずる弊害を防止するため、その種類及び数などを制限するものであることが明らかであるから、その表現の自由に対する制約は間接的・付随的であるうえ、公職選挙法は一四二条自体が相当数の文書図画の頒布を許容しているほか、一定範囲の文書図画の掲示、車上演説、新聞広告、ラジオ、テレビによる政見放送、立会演説会、個人演説会、街頭演説など選挙運動のための他の意見表明の手段及び機会を広く許容し又は設定しており、個々面接、電話は規制しておらず、このほか選挙管理委員会による各世帯に対する選挙公報の発行、配付も定めているのであるから、これらによる意見表明の機会は相当広く、文書図画の頒布を制限することにより失われる意見表明などの機会はこれにより相当程度償われるものと認められる。以上の点を考慮に入れ、前記規制により得られる利益とこれにより失われる利益とを比較すると、右規制により得られる利益は、前叙の弊害を防止することによる選挙の公正の確保であり、右規制により失われる利益は、各候補者又はその選挙運動者について平等にではあるが、文書図画の頒布という手段による意見表明ないし表現活動の自由が前説示の限度で制約されることであるから、失われる利益が得られる利益と均衡を失して大きいということはできない。

そうしてみると、公職選挙法一四二条、二四三条三号による文書図画の頒布の規制が合理的で必要やむをえない限度を超えるものとは認められないから、右規定は憲法二一条に違反しないと解しなければならない。右規定がその他原判決が説く憲法の基本理念とする国民主権、代表民主制(前文)、議会中心主義(前文、四一条他)、国民固有の参政権(前文、一五条)及び選挙制度(一五条、四三条、四四条)などに違背、抵触するものでないことも、叙上説示の趣旨にかんがみ明らかである。結局、当裁判所は、この点に関する最高裁判所の確立した判例(検察官が控訴趣意一で引用する①ないし⑦の各判決のほか、昭和五七年三月二三日第三小法廷及び同年四月二二日第一小法廷の各判決など参照)の趣旨に従うのを相当と判断するものである。

原判決は、種々理由を挙げて前叙の違憲の結論を導いているところ、その説示は一個の見解として傾聴すべき点もあるが、右判断及びその説示中、当裁判所が右に示した判断、説示と抵触する部分は賛同することができない。若干補足説明すると、原判決は、公職選挙法の許容し又は設定する意見表明の手段及び機会を過小に評価しており、その点の説示を裏付ける事実認識も十分首肯できないものであり、また、合憲説を根拠づける弊害論に対して原判決の加える批判の中には、選挙の競争原理を前叙の「選挙の公正」との調和を十分考慮することなく強調し、あるいは原判決のいう選挙運動における自己制禦作用を過大評価していると思われる点があって、賛成することができない。

弁護人らが当審で提出した多数の書証及び当審証人らの各供述中には、なるほど立法政策上の見地からすれば注目あるいは傾聴に値する点もあるが、それらは直ちに前説示の弊害の存在を否定し、あるいは国会の判断が裁量権の範囲を逸脱しているとするに足りる資料とは認め難く、右各証拠中当裁判所の前叙の判断と抵触する部分は採用し難い。なお、弁護人らの主張する東京都中野区の教育委員準公選の試み、本土復帰前の沖縄における自由化された選挙運動の実態などは、資料に徴し、いずれも特殊の条件あるいは状況下におけるものであることがうかがわれるから、これらをもって直ちに前説示の弊害の存在を否定する状況とするのは相当でない。その他本件において、当裁判所の前叙の判断を左右するに足りる資料はない。

したがって、原判決が、被告人の本件行為について、それが公職選挙法一四二条一項、二四三条三号の文書図画頒布罪の構成要件に該当することを認定しながら、同法条が憲法二一条一項をはじめ前叙の憲法の各基本理念、各規定などに違背する無効の規定であると解してこれを適用せず被告人を無罪としたのは、法令の解釈適用を誤ったものであり、この誤りが判決に影響を及ぼすことは明らかである。検察官の論旨は理由がある。

よって、刑訴法三九七条一項、三八〇条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書により当裁判所において更に次のとおり判決する。

(罪となるべき事実)

被告人は、昭和五一年一二月五日施行の衆議院議員総選挙に際し、岐阜県第一区から立候補した簑輪幸代の選挙運動者であるが、同候補者に当選を得させる目的をもって、別表記載のとおり、同年一一月二九日ころから同年一二月三日ころまでの間、岐阜県美濃市《番地省略》の被告人住居内にある「正木塾」において、それぞれ父兄らに閲覧させて同候補者に対する投票、支援などを依頼する意思で、同塾の生徒であるA(当時一四歳)らに託して、「あなたとともに明日をひらく、みのわ幸代」と題し、右候補者の写真、略歴、政治上の意見、決意及び公約などを掲載したパンフレットを一部ずつ、合計一六部を持ち帰らせ、そのころ同人らをしてそれぞれその住居である別表記載の場所において、別表被頒布者欄記載の加藤百合子ほか一五名に右パンフレットを閲覧することができる状態におかせて配布し、もって法定外選挙運動用文書を頒布したものである。

(証拠の標目)《省略》

(弁護人らの主張に対する判断)

弁護人らは、さきに判断した違憲の主張のほか、さまざまな観点から本件において有罪判決及び公民権停止をすべきでないとする法律上あるいは事実上の主張を展開しているところ、当裁判所は、それらについても逐一吟味検討してみたが、それらはひっきょう肯認し難い事実(事実に対する認識、評価を含む。)あるいは法令の解釈に依拠した主張に帰着するものと考えられ、いずれも採用できない(答弁書(一)の第一において、被告人の本件行為の正当性を主張すると解される点も、関係各証拠に徴し採用しえない。)。以下、主要と認められる論点について補足説明する。

一  公職選挙法一四二条、二四三条三号に定める文書図画頒布罪は構成要件の明確性を欠き憲法三一条の要請を充足していない旨の主張について

1  弁護人らは、公職選挙法一四二条にいう「選挙運動のために使用する文書図画」がいかなるものを指すか明らかでなく、その概念があいまい不明確である故に、とうてい一般人がこれを理解し、あるいは具体的な場合に当該行為がその適用を受けるものかどうかの判断を可能ならしめるような基準を読みとることが不可能である旨主張する。

そこで検討すると、公職選挙法一四二条は、それが同法第一三章「選挙運動」に収められていることからもうかがわれるように、選挙運動の一態様としての文書図画頒布を規制する趣旨に出たものと考えられ、同条は「選挙運動のために使用する文書図画」を「選挙運動として頒布する」ことを禁止したものであり(最高裁昭和四四年三月一八日第三小法廷判決参照)、また、右の「選挙運動のために使用する文書図画」とは、同法一四六条との関係から考察すると、文書の外形内容自体からみて選挙運動のために使用すると推知されうる文書図画をいうと解するのが相当である(最高裁昭和三六年三月一七日第二小法廷判決参照)。そうして、右「選挙運動」の意義については、大審院、最高裁判所を通じ判例のいう「特定の公職の選挙につき、特定の立候補者又は立候補予定者に投票を得若しくは得させる目的をもって、直接又は間接に必要かつ有利な周旋、勧誘若しくは誘導その他諸般の行為をすることをいう」(例えば、最高裁昭和三八年一〇月二二日第三小法廷判決参照)に従い、これと同様に理解するのを相当とするから、結局、公職選挙法一四二条にいう「選挙運動のために使用する文書図画」とは、その外形内容からみて、右意義での選挙運動に使用する趣旨が推知されうる文書図画をいうものと解することができる。

ところで、右のように解した場合、「選挙運動のために使用する文書図画」は、相当広い概念であり、ある文書図画がこれに該当するかどうかについて解釈の分れる場合のありうることは否めない。しかしながら、それは主として現実の選挙運動、ひいてはこれに使用される文書類がさまざまな形態をとることに由来するもので、このため規制の対象となる文書図画の外延とそうでない文書図画とが接する限界的事例について疑義の生ずることはあるが、典型的ないし通常の事例については疑義を生じないと考えられ、右解釈の分れる場合のありうることを強調して構成要件が不明確であるというのは相当でない。すなわち、公職選挙法一四二条は、「選挙運動のために使用する文書図画」について、頒布が許されるものの種類、枚数などを具体的に明らかにしたうえで、右以外の文書図画の頒布を一切禁止する趣旨を明確に規定しており、更に同法一四六条は、右の禁止には触れないが、選挙運動期間中に限り処罰される行為として右の禁止を免れる行為(一項)及び禁止を免れる行為とみなす行為(二項)を具体的に規定して、同法一四二条の規制対象を側面から明らかにしているのであり、このことに加え、今日選挙運動は日常化しており一般人も選挙運動として頒布が許されている文書図画を容易に見分しうる状況にあることなどにかんがみると、通常の判断能力を有する一般人が、具体的な場合において、その文書図画が同法一四二条の規制を受けるものか否かの判断を可能ならしめるような基準を同法の規定から読みとることは十分可能であると考えられ、同条にいう「選挙運動のために使用する文書図画」が構成要件として不明確であるということはできない。

2  弁護人らはまた、公職選挙法一四二条にいう「頒布」について、判例の示す「不特定又は多数の者に配付することをいう」との解釈は、国民の健全な常識(国民に「頒布」とは、どのような人達に何人ぐらいに配ることを指すのかと問うた場合、判例の示す解釈と大幅なくい違いを示すことは明白であり、たぶん国民の大多数は被配付者の人数として数十人から数百人の間の人数を指示し、判例を知らなければ一人に渡しても頒布になる余地があるなどと考える人は一人もいないであろう。)、法感情そして行動パターンから遊離している旨主張する。

確かに、最高裁判所は、「頒布」についてその法的意義を情況をも加えて、「不特定又は多数の者に配付する目的でそのうちの一人以上の者に配付することをいい、特定少数の者を通じて当然又は成行き上不特定又は多数の者に配付されるような情況のもとで右特定少数の者に当該文書図画を配付した場合も、これにあたる」(昭和五一年三月一一日第一小法廷決定、昭和五七年四月二二日第一小法廷判決など参照)と解している。しかし、「頒布」という言葉が本来広い範囲への配付を意味するとしても、右解釈がその中核をなす観念においてこれと異なるものがあるとは考えられず、国民の健全な常識や法感情などから遊離しているということはできない。被告人は、原審での最終意見陳述中で、「頒布」につき「不特定な多数の者に配ること」をいうと解すべき旨主張するが、さきに説示した公職選挙法一四二条の法意、目的にかんがみ、右解釈は狭きに失するものであり、また、「頒布」の概念について特に「不特定かつ多数の者」という限定が、国民の常識上不可欠な要素であるとも考えられない(なお本件は、関係各証拠に徴し、被配付者の数において限界をなす事例とは認められない。)それ故、「頒布」の法的意義が、罪刑法定主義の見地からみて明確性を欠くものとは認められない。

3  以上のとおりであって、公職選挙法一四二条、二四三条三号は、その構成要件を全体として考察しても、明確性に欠けるところはなく(なお、罪刑法定の適正の主張が採用できないことは、検察官の控訴趣意に対する判断の項参照)、この点に関する弁護人らの主張はいずれも採用できない。

二  構成要件に該当しない旨の主張について

まず弁護人らは、本件文書は「選挙運動のために使用する文書」にあたらない旨主張する。

右「選挙運動のために使用する文書」の意義については、前記一の1で説示したとおりである。以下、この解釈に立ち、押収してある本件パンフレットを検討すると、同パンフレットは、表紙を含め二八ページから成るものであるところ、表紙には「あなたとともに明日をひらく、みのわ幸代」との表題とみのわ幸代とみられる女性の色刷顔写真が大きく掲載されているほか、本文中には同人の略歴、活動状況などに関する記事(写真を含む。)、「わたしの決意、あなたとともに明日をひらく、みのわ幸代」の見出しのもとに「…昨年の参議院選挙(後記の記載などに徴し、昭和四九年七月の参議院議員選挙を指すものと認められる。)で、たくさんの方がたからいただきましたご支援にこたえるためにもかならずがんばります」との文言、「わたしの歩みめざす道」の見出しのもとに「…昭和四十九年七月立候補し、多くの方がたのご支援に支えられて大きく前進しました。選挙で『みのわ幸代』と書いて下さった方がたの切実な願いを実現するため、引続き国政革新をめざして奮闘しているわたしです」との文言、「みなさんとともに実現するわたしの重点公約、みのわ幸代」の見出しのもとに列挙された国政に関する公約、日本共産党中央委員会書記局長不破哲三の名前で「…こんどは岐阜からも、みのわさんをぜひ国政の場に送りだしてくださるよう、みなさんの心からのご支援をお願いします」との文言、その他みのわ幸代を支持する国会議員らのみのわ幸代の活躍を期待する、あるいは同人を国政の場に送りたいとする趣旨の文言などを掲載したものであることが認められる。これらによれば、同パンフレットは、昭和四九年七月の参議院議員選挙に立候補した簑輪幸代が引き続き国政レベルの選挙に岐阜県から出馬する決意を表明し、その際には一般有権者らに対し同人に対する投票、支援などを依頼する趣旨を含むものであると推知するに十分である。

なお弁護人らは、選挙運動用文書であるか否かを判断するにあたり、その外形内容自体以外の頒布された状況などを考慮に入れることはできない旨主張するが、右パンフレットはその外形内容自体からみてすでに「選挙運動のために使用する文書」であることが推知されうるのであるから、右主張は本件に適切でない。のみならず、右のように推知されうる文書である限り、それが特定の選挙における特定の候補者の当選を目的とするものであることが具体的に明記されていることは必ずしも必要でなく、これを見る者が頒布の時期、場所、当該選挙における当該の人の立候補の有無などの状況から推して、特定の選挙における特定の候補者の当選を目的とするものであることが了解されうるものであれば足りると解すべきであり(最高裁昭和四七年一〇月六日第三小法廷決定が支持する同事件の控訴審判決参照)、すなわち、文書の記載内容をより具体的に理解する補助手段として頒布の時期や状況を考慮に入れることは前記解釈の趣旨に反するものではないと解されるのである。この見地から考察すれば、関係各証拠に徴し、本件においては、該パンフレットを閲覧した一般有権者にとって、それが昭和五一年一二月五日施行の衆議院議員総選挙に際し、当時岐阜県第一区から立候補していた簑輪幸代候補の選挙運動のために使用する文書であることを明確に理解しうるものであると認められるのである。更に付言すると、選挙運動のために使用する文書と推知されうる限り、そのことが文書本来の、ないしは主たる目的であることを要するものでなく(最高裁昭和四四年三月一八日第三小法廷判決)、もとよりそれが唯一の目的であることも要しないと解される。それ故、右パンフレットには「みのわ幸代後援会入会のよびかけ」という奥書などがあり、簑輪幸代が次回の衆議院議員総選挙に立候補する旨の具体的記載はなく、関係各証拠を併せ考察すると、右パンフレットは本来右後援会の入会勧誘などの活動のために作成された文書であることがうかがわれるが、そのことは前記判断と何ら抵触するものでない。

次に弁護人らは、本件被配付者らは特定されており、多数人ともいえない、また、本件配付行為は選挙運動員間の連絡行為であり、「頒布」にあたらない旨主張する。

しかし、関係各証拠に徴すると、被告人の本件配付行為は自己が経営する正木塾の一部の生徒の父兄らを対象とするものではあるが、それが多数人(一六名)に対する配付であることは明らかであり、また、被告人と被配付者らとの間、また、被配付者相互の間においても、簑輪幸代候補に対する支援の態度、関心の程度など均質ではなく、被告人の本件配付行為は、同候補者に対する投票依頼などの趣旨で選挙人である右父兄らに働きかける性格のものであったと認められ、とうてい内部的な事務連絡ということはできない。前記一の2で説示した「頒布」の意義に照らせば、本件配付行為が「頒布」にあたることは明らかである(なお、弁護人らの適用違憲の主張が採用し難いことは、検察官の控訴趣意に対する判断の項参照)

以上のとおりであって、被告人の本件配付行為は公職選挙法一四二条一項、二四三条三号の文書図画頒布罪の構成要件をすべて充足していると認められ、これを争う前記各主張はいずれも採用できない。

三  公民権停止違憲の主張について

弁護人らは、公職選挙法二五二条のうち同法一四二条、二四三条三号の罪を犯した者に対する適用を定める部分は、その必要性、合理性が全く認められないばかりか、その適用により被告人に深刻かつ重大な不利益を課するものであり、憲法三一条により保障された「罪刑の均衡」の要請を著しく逸脱するものであるから、右部分に限り違憲無効である旨主張する。

しかし、公職選挙法二五二条のいわゆる公民権停止に関する規定は、一定の選挙犯罪を犯し選挙の自由公正を害した者は相当期間選挙に関与させないようにすることが選挙の公明適正化の見地から望ましいとの趣旨に基づくものであるから、文書図画頒布罪についても、当然にその適用の必要性、合理性がないということはできない。すなわち、文書図画頒布罪であっても、その違反の動機、態様、規模、反復継続性、それが選挙の公正に及ぼした影響、違反者の前歴、性格などその犯情はさまざまであり、犯情に照らし公民権停止を相当とする事案も存すること及び同条四項が情状により公民権停止の規定を適用せず、又はこれを短縮することによりその適正妥当な運用をはかる途を残していることにかんがみると、同法二五二条のうち文書図画頒布罪を犯した者についてその適用を定める部分が、弁護人ら主張のようにその必要性、合理性を欠くものとは認められず「罪刑の均衡」を逸脱したものということもできない(なお、公職選挙法二五二条の合憲性については、最高裁昭和三〇年二月九日大法廷判決の趣旨など参照)。前記主張もまた、採用するに由ない。

四  公訴権濫用の主張について

弁護人らは、本件起訴は公訴権の濫用にあたることが明らかであるから、公訴棄却の判決をすべきである旨主張する。

しかし、記録を調査し検討するに、本件公訴は適式に提起されており、かつ、最高裁判例に照らして明らかに犯罪を構成する事実を内容とするものである(なお、本件審理の結果に徴しても、右事実は起訴当時犯罪の嫌疑が十分存在したもので、可罰的違法性にも欠けるところがないと認められ、犯情からみても明らかに不起訴にすべき事案であるとは認められない。)うえ、本件起訴が弁護人ら主張のような政治的弾圧の意図に出たと認めるに足りる証拠はなく、本件捜査の端緒、強制捜査の手続、執行などにおいても、特に違法視すべき瑕疵があったとは認められない。また、弁護人ら主張の関警察署の他候補(松野幸泰派)の文書違反に対する取扱いについて検討してみても、その事件は、記録に徴し本件と文書配布の状況などを異にするものであったことがうかがわれるのであるから、その取扱いなどと比較して、直ちに本件が差別的な起訴であると推認するのは相当でない。その他記録を調査しても、本件起訴が公訴権の濫用であることを認めるに足りる事情は認められない。(なお、かりに、捜査当局の事件処理、捜査方法などに何らかの偏頗な点があったとしても、それが直ちに公訴提起を無効にするものではなく、検察官に訴追裁量権の著しい逸脱があり、それが極限的な場合に達しているのでなければ、公訴の提起自体が無効となることはない。)前記主張もまた、採用できない。

(法令の適用)

被告人の判示各所為は、包括して昭和五七年法律第八一号附則一四条により同法律による改正前の公職選挙法一四二条一項、二四三条三号に該当するところ、所定刑中罰金刑を選択し、その所定金額の範囲内で被告人を罰金一万円に処し、右罰金を完納することができないときは、刑法一八条により金二〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置することとし、本件違反が小規模、小範囲にとどまるものであること、被告人は長年町議会、市議会の議員として住民のために活動し、町市政に貢献してきた者で、今後も政治活動を志していること、その傍ら塾を経営し、自ら中学生らの教育指導に当たり、父兄らの信望も厚いことなど、諸般の情状を考慮し、公職選挙法二五二条四項により同条一項所定の選挙権及び被選挙権を有しない旨の規定を適用しないこととし、原審及び当審における訴訟費用は、刑訴法一八一条一項本文により全部被告人に負担させることとする。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 小野慶二 裁判官 河合長志 鈴木之夫)

〈以下省略〉

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